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東京高等裁判所 昭和38年(く)91号 決定 1963年11月25日

少年 K(昭二一・六・一八生)

主文

原決定を取り消す。

本件を東京家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告趣意の要旨は、原決定は少年が今○康○の腹部を庖丁で突刺したと認定しているが、突刺したのは少年ではなく、T某であるから、原決定には重大な事実の誤認があるというにある。

よつて、審究するに、一件記録に徴すれば、原決定は、他の数名の少年との共謀に基づくものとして、所論の今○康○に対する傷害の事実のほか、他の犯罪事実をも認定しているのであるが、今○康○に対する傷害の事実につき特にK少年が出刃庖丁で今○康○の腹部を突刺したと判示してあるところからすると、今○康○を突刺した直接の実行行為担当者はK少年であると認定し、この点を重視して、他の共犯者たる少年等とは異り、K少年を中等少年院へ送致する処分に出たものと考えられるのである。して見ると、K少年が直接今○康○を突刺したかどうかは、本件において原決定に影響を及ぼすきわめて重要な問題となつて来るので、更にこの点について検討すると、まず原審記録のみによつても、次の点に重大な疑問がある。すなわち、原審の審判調書によれば、K少年は自分が今○を刺したと自白し、警察でも同人は、「当夜○○高校に押しかけたのは総勢一一名で、そのうち自分(一七才)とH(一六才)のみが犯行現場である校舎内に入り、他は校外に待たせ、Hは木刀を、自分はHが持つてきた出刃庖丁を携えて行き今○を自分が刺した」と述べ、M(一七才)、F(一六才)、N(一六才)、S(一六才)、R(一五才)、W(一五才)、A(一五才)、I(一五才)らも、いずれも右一一名の仲間として当夜の犯行に加担したとしてKと同趣旨のことを警察で供述しているのであるが、当夜犯行現場にい合せた被害者側の○○高校の生徒等である赤○利○、山○喜○、中○雅○、松○義○、疋○光○らが警察で述べたところによれば、現場の教室内に押し入つてきたのは、五、六人あるいは七、八人といい、又そのうち刃物を所持していたのは、年齢二〇才ぐらいあるいは二五、六才ぐらいに見えるガッチリした体格の黒つぽい(紺か、あるいはねずみ色ともいう)上下の背広を着ていた男であるというのであつて、少くとも今○康○を突刺した犯人は背広を着用していたものと認められるのにかかわらず、Mの司法警察員に対する供述調書によれば事件当夜K少年は濃い水色の長袖のオープンシャツに柄入パンツを着用していたという(他にこの点に触れた証拠はない)のであるから、以上記録にあらわれた証拠だけでは、ただちに前記K少年ならびにその仲間の自供を真実に合致するものとしてたやすく信用しがたいものといわなければならない。更に又、当裁判所の事実の取調の結果を見ると、K少年は、裁判官の質問に答えて、当夜犯行現場の校舎内に入つたのは、自分とHのほか、T、O、Eを含めて五人であり、刃物を持参し相手を刺したのはTであつて自分ではない、自分はTやOからお前は初犯だから鑑別所に行つてもすぐ帰れるからかぶれ」と言われ、罪をかぶつたのである、仲間にも自分がやつたよう言えと警察の調べのとき警察の人にわからないよう合図をしておいた、又Tらの名前も出さないよう前に集つたときみなに言いふくめておいたのである、なお当夜の自分の服装は青の長袖オープンシャツに白い海水パンツで、Tは濃い縁色の背広上下を着ていた、と述べ、当夜K少年らと○○高校に押しかけた仲間のH(一七才)とB(一六才)の両名も当審で、当夜犯行現場の校舎内に入つたのはK、HのほかU、O、E(BはそのほかCも入つたという)らであり、今○を刺したのはKでなくTである、T、O、E(Cも)らはいずれも年長の先輩であり、Kが罪をかぶつたのもTらの名前を出さなかつたのも先輩がこわかつたからである旨証言し、当夜の仲間の服装についても、いずれもKは背広を着ていなかつたと述べ、Tが背広を着ていたかどうかは、Hはよく憶えていないと言い、Bは、Tが背広を肩にひつかけていたと答え被害者今○康○も自分を刺したのは背広を着た男であると証言しているのであつて、以上は被害者側の者らの前記供述からうかがわれる当夜の現場の状況にもほぼ符合するものであり、K少年の当審での弁解も必ずしも事実あり得ないことではないようにも思われ、したがつて今○を刺したのはKではなく、実はT某なる者ではなかつたかとの疑も増してくる次第である。本件の搜査にあたつた警察官佐藤文之助及び同大坪貫治の証言も、かえつてK少年らの自供に対する裏づけ搜査の不十分であつたことを感ぜしめこそすれ、これによつて、前記の疑問を払い退けK少年が今○康○を突刺した犯人であることを認めしむるだけのものを得られるものではなかつたのである。

以上の次第であるから、K少年が直接今○康○を突刺した犯人であると断定するためには、単にK少年らの前記自供では足らず、さらに、当夜犯行現場の校舎内に侵入したのはK、H両少年のほかにも何人かあつたのではないかどうか(T、O、Eらはいなかつたか)、その中で背広を着用し年齢、体格等の特徴の点で前記被害者側の者の証言に最も符合するものは誰であるか(Tはどうか)等を明らかにする必要があると考えられるにかかわらず、原審が事ここに出ないでたやすくK少年を右犯人と認定し、その点を重視してK少年を他の共犯少年と区別し中等少年院に送致する旨の決定をしたと認められるのは、原決定に影響を及ぼす重大な事実誤認といわなければならない。

よつて、少年法第三三条第二項により原決定を取り消し、本件を原裁判所である東京家庭裁判所へ差し戻すこととして、主文の通り決定する。

(裁判長判事 足立進 判事 栗本一夫 判事 上野敏)

参考二

意見書

昭和三八年八月三〇日

東京家庭裁判所少年審判部

裁判官 ○○○○

東京高等裁判所御中

少年Kに対する傷害等保護事件について当裁判所は昭和三八年八月一三日中等少年院送致の決定をなし、右決定に対し抗告の申立てがあつたが、当裁判所は昭和三八年一八〇二二号事件については別紙決定書記載のとおり少年が本件において直接被害者を刺したものと認定したのであるが、少年は右決定言渡後少年鑑別所において、これは警察から一貫して自分は身代りで他人の罪をかぶつたものであると申立て、本件抗告も要するにこれを理由とするものと思料されるので審理のうえ然るべき決定を願いたい。

参考三

抗告申立書

少年 K

昭和二一年六月一八日生

抗告申立人

板橋区××町○○番地

保護者実父 木○政○

板橋区大谷口一丁目四五番地

右代理人弁護士 北村利夫

昭和三八年八月二三日

東京高等裁判所御中

申立の趣旨

右少年に対する傷害等保護事件について昭和三八年八月一三日東京家庭裁判所がなした「少年院に送致する」旨の決定は左記諸理由により不服であるから抗告いたします。

申立の理由

一、本件決定は昭和三八年○月○○日午前○時頃東京都板橋区○○町○の○○○○△△高校商業科一年七組の教室で同水泳部応援部員等が合宿している処で起つた傷害事件に対するものであります。

二、事件の大体の事実の内容は決定の際御取調になつた処と相違ありませんが、少年K自身の関係に於て事実と全く相違する処が判明しましたので、其の詳細を左に開陳し決定是正方御願したく本抗告に及びました。

三、(一) 事件の概要

イ、本件K少年を含む十数人の少年は、所謂△△町界隈に巣食う不良少年、チンピラであります。(××会というのを作つているそうです)

ロ、之の連中が本年の猛夏に海水浴にも行けず水泳の場所もなかつたので、前記○○高校のプールに入れて呉れと依頼した処校則で同プールは生徒以外の者の使用が許されていないので合宿部員が之を断つた。

ハ、処が前記少年等は尚も「シツコク」願出た処余りの「ウルササ」に部員の一部のものが少年の中二、三のものをバット様のものでなぐつたので其の腹いせの為に本件に及んだものである。

ニ、このことあるを予期してか部員は既に警察に連絡、パトロールの警官や刑事の助言で対策を協議(講堂で)留守番をしていた五、六人の者を部員と間違えて少年等が一部外に居り、五、六人のものが校舎に入り一人が呼出しにゆき、他の者は廊下で待機した。(人数の点警察では、K、H某、B某の三人とみているが、被害者側の申立では五、六人であるといい、又H某御庁で審判の際刺した犯人の居た場所を目撃した少年の指示で写した写真六枚をみせられたる由だが、その点でもその場に居た者は五、六ケ所五、六人となる)

ホ、部屋の出口に待伏せていた少年等は、呼出されて出てきた留守番の生徒に匕首の「ミネ」で両頬をなで且頭をなぐつたものもあつたが、突如柳葉(刃)(ホウチョウの一種)で刺し傷を負わせて逃走したものであります。(校舎外にチンピラ仲間数人でみていた由です)

ヘ、父の言によりますと少年Kは帰宅こそ深夜であつたが、別に普段と変つた様子もなく衣類にも血痕ようのものなど見当らなかつた由で、別に何事かあつたと感付かずに寝に就いたそうですが、翌○月○○日突如板橋署の刑事四人がみえて本件少年をタイホして行き今回の御手数を煩わすこととなりました。

ト、父は事の重大且意外なのに驚き、自分の子供が下手人である由でもあつたので、早速警察に被害者の住所氏名、入院先を聞きましたが、警察では被害者は今○康○、住居は杉並区○○町であると教えて呉れた丈で、入院先は知らせて貰えませんでした。(或はソウサの関係上のこととも思われ悪意はないと思いますが)

チ、其処で父は早速H某の母親と同道、被害者宅を見舞い御わびすると同時に叔父さんといふ方に面会、治療の方はこちらで責を負ふ、御本人の御見舞もしたいから入院している病院を教えていただき度いと申して、やつと被害者の板橋の○○病院に入院加療中のことをしりました。

リ、早速父は見舞品を持参、本人に面会、治療に心配なさるな誠に申訳なかつたと丁重に御わびと御見舞をした。その後もK、H、Bの一緒に撮つた写真を持参、これをみて貰つてその中に刺した真犯人らしいものの見覚えはありますかと尋ねたが判りませんとの由であつた。

(二) 少年Kの父の真相究明の努力とその結果

イ、父は件の部屋に入つたものの人数が警察の云ふ処と被害者の申立てる処とに相違あることや、事件当夜チンピラ共が仕返にいつた際「弟分をよくもいじめてくれたな」(毎日新聞の記事)等のセリフでKに弟分のいないことなどや、同じ近所のチンピラ共が本当はKがやつたのでないのに可愛想だ(タイホ勾留されたのはK丈であつた)他に刺した者はいる等の風説や噂が拡つてきたことや、B某宅に間借り同居している原○氏が事件当夜B宅に集つた二、三人の少年が事件の模様を話しているのをきいたが、下手人はKではない様な話であつたこと、又少年H某が家で「本当のことをいふと俺は殺される」等と何気なく口走つたこと、警察も他に裏付けソウサを一向にしていないらしい様子等から不審をいだき、Kの弟や家内にも話して聞き込みをつづけた処、ドウモ自分の子供が真の下手人とは思へないのだが、其の白との確信の基になる証拠はつかめなかつた。

ロ、が、父は親として警察にも二回程真相を明かにするよう特段のソウサを願つたが、其の都度H某もB某もKがやつたといつているし我々も危険を冒してソウサしているのだから間違いないと取合はれなかつた。(二回目等は前記原○氏も同行してそうでないらしいからと云つたにも拘はらず)

ハ、ので父は一部あきらめ或は自分の子供の仕業かとも考へてみたが、更に本人に確かめんものと当時練馬鑑別所に収容されていた本人を訪ね、本当にやつたのは御前か一生にかかはる事だから父に丈は本当のことを云つて呉れと申向けても頭を垂れて泣く丈でやはり自分がしたので申訳ないといふていた。それでも父は腑に落ちぬので慎重に考え、裁判の時は本当にさしたのなら仕方ないが嘘丈は云ふなと云いのこして別れた。其の後父は母をやつて訊ねさせたが矢張り新しい事実はつかめなかつた。

ニ、其の後の審判の時の模様は既に御庁で御承知の通りで之の時も自認していました。

四、抗告を申立てる主な理由

(一) 本人は練馬鑑別所に居る時同僚の収容者等から「ナニ、二週間もすれば帰れるよ」等といはれた事を信じきつていたのと、稍々ツマサキ位を所謂ヤクザの世界に入れていたので、本当の事を云い足を洗はんとすれば後の仕返しが恐い、二週間もすれば帰れると思い警察でも御庁の御調でも真実をのべ真人間になる意思ありながらこれをせずズルズルツト嘘をついていたものと思います。

(二) 事件を起す前合宿員からプールに入れてくれとシツコク云つてウルサがられ、果ては棒片れ、バットなどでチンピラ仲間の一、二のものがなぐられたので、その仕返しをしようと思つていたが、合宿員の様子が多数でトテモかなわぬ、誰かスゴミのあるものを頼もうと話し合い、自分等の親方分の板橋区○○町のT某(一九才で一番年上であるもの)をたのんでヤッツケル役割を懇願し、一方其の場合はあくまで自分等がかばい、やつたことは自分等にする迷惑はかけぬと申向け、少年等の中で生れ月の一番早い本件少年Kが其の役割を買つて出て、他言しない下手人は替玉の自分がなると盟約していたものらしい。

(三) 従て警察等でも部屋に入つた人数の点について違いはあるが、敢てチン入した人数の事等を深く考へず、口を合せたチンピラH、B等の云う通り三人ときめこみ、事前打合せの結果口裏の合つた供述を信じて本件を送致したものと思はれます。

(四) 処が審判の結果は家にも帰れず思いもかけぬ中等少年院に送られ、相当長期に亘つて施設に居らねばならぬ身となり万事望みはたたれた。一方事件の真の事実は自分が手を下したのでもないのにと思い悩んだ挙句意を決して父親に別添の如き手紙を送つて本当の事をのべ、且つ少年院の係官にも相談して父親に面会をたのんできた。(院からの手紙も添付する)

(五) 父が面会に行きました処少年はやつと夢がさめた、全く両親兄弟に申訳ないことをしてしまつたが、実際にやつたのは自分でなくT某である自分とH某、B某、E某、O某、T某が部屋に入り、中誰だつたかが留守番のものを呼出しに行き、出てくる処をT某が誰かが匕首でなぐつた後を突如さしたのです、間違いありませんと涙ながらに述べ、自己の非行を深く悔い改め、もうこれ限りでこんな世界からは足を洗い真人間になるから父さん助けて下さい御願です、院の方に伺つた処それには抗告する方法が一応あるといはれたので、どうか其の手続を御願いしますとのことでありました。

(六) 右の如く本人の今回の決意は誠に固いものと存じますし、又今にしてその本人を救はぬと一層泥沼に沈淪してしまつて結果は更に重大な犯罪を犯す虞なしと我々も保し難いのです。

(七) 左様の次第で成程警察の取調を間違はせ審判を誤らせて申訳ありませんが、抗告人としては其の間違いを指摘する意向など毛頭ありませんのみならず、とかくヤクザの世界にあり勝な替玉をつかつて真犯人をかくす等大それたことをして御わびの仕様もありません。が只本人は今は真に心から更正を誓い少くとも仕返し等の共謀に参加した責任は致し方ありませんとしても、自分が本当にやつたのでないのにその様にこれからも見られ(改心しなければいづれ世間に出て一種のハクとなり大きな顔をする巷にあるものですが)一生つきまとい、これでは折角の改心も不本意のものとなり、幸いケガ丈であつたが若し間違つて命にでもかかわることなら一生殺人犯人と目される処で、このような汚名は何としても雪ぎたい。共謀して仕返しをしたのは悪いが之丈け即ち下手人であることは何としても免れたい。父さん何とか助けて下さい真人間になりますといふて居りますので、本申立で此の点丈でも除去していただき、処分は変らなくとも軽くしてほしい、出来れば父に引き取らせていただき度く、その暁は正業に就かせて他の処で働かせるようにしますと父も申しますので本御願をする次第です。

(八) 右の事実からすれば原決定は少年法第三二条に該当するものと考へ(尤も本人の供述で調書を誤らせた大半の責任はありますが、その責を負ふ方法は別として)、更に慎重綿密に調査願えれば原決定は本人の責任とは云い条事実が重大な点で誤つて認められ、その結果著しく不当の処分となつたものと存じますので、該に本件抗告を致し其の是正方を御願いたします。

〔編注〕 差戻後の事件は、昭三八・一二・一三保護観察決定

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